2011年9月23日金曜日

言葉の違い そのに

下に書いたのは自分の専門分野での用語だが、日常生活で使う言葉でも、その言葉の真の意味や、類似語との違いをじっくり考察してみることはとても興味深い。

例えば、「信頼」と「信用」の違いはどこにあるのだろうか?

竜吉公主「楊ゼンを信用しておるのじゃな」
太公望「信頼だよ公主」
元始天尊「あはーん太公望よよくぞそこまd(ry」

初めにこの二つの違いを気にしたのはこの台詞を見てからだ。当時は意味の違いが全然分からなかったが、今この歳になって、信用と信頼の違いとは何か朧げながら分かってきた気がする。

信用する・信頼するはただの動詞であるので、これらの違いを考えるためには
「誰が、誰(何)を、信用・信頼して、誰(何)が、どうする」という構文を前提にした方が分かりやすい。

そして、信用・信頼の違いは、後半部分の「誰(何)が、どうする」について、どうするという作用のコントロール権を誰(何)が持っているか、にあたるのではないかと思う。

信じた当人が状況のコントロール権を持つのが信用であって、信じられたモノが状況のコントロール権を持つのが信頼である。
すなわち、信用とは、ある人や物を(悪い言い方をすれば)道具として使い、ある事象や状況に作用させるという動作が伴うべきで、その使い方の決定権は信じた当人に委ねられるものであり、一方で信頼とは、信じたモノにその決定権を委譲するものである。

さらに言えば、「信じた結果失敗したらどうすんねん」という問題に対し、「信じた自分が悪いのだから」と自分の責任でその後の処理を行うのが信用であり、失敗したときの責任も後処理も任せるのが信頼である。こう書くと何だか信頼というのが他人任せなものな感じもするが、重要なのは信じる対象が、「ある作用(作業)を適切に行うor失敗しても責任もって後処理を行うことが出来る」に足る能力とキャリアをもつこと、そして、自分のともすれば厚かましい期待(決定権と責任の委譲)を受け止めてくれる度量をもっていることなのだと思う。

「信頼する」につけて、上に挙げた要素はどれ一つとして欠けてはならない。だから、どんなに能力があって人間性の優れた人でも、責任を終える立場にいなければ信頼するべきではなく、それで失敗したとしても悪いのはその人ではなく信じた自分である。

従って、プライベートな関係であれ、上司や部下、教官や学生といった仕事や教育上の関係であれ、信頼関係(特に双方向にベクトルの向いた関係)を築くことは非常に困難なことであるし、もしそういった関係が構築できたなら、それはとても尊いものであると思う。

こう考えてみると、上の台詞に対する感慨もひとしおである。

またまた分割

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